2006年10月25日

しばらくぶりの更新

 ここ数日世間を騒がしているニュースの中で、老人福祉と児童教育に関わるものが目に付きます。

 老人福祉についてはいわゆる老老介護ですね。70歳を超える老人が同じく老人を介護すると言う形になっているもので、介護に疲れての殺人に発展してしまう事件が頻繁になってきています。ニュースを未定的になったのが、妻による夫殺害がほとんどなく、目にするのは夫による妻殺害事件。どっちのケースも相手にかかる負担は同じに思えるのですが、なぜか目にするのは後者ばかり。

 すべてのニュースソースを確認しているわけではないので、絶対ではないでしょうが、全国ネットで流されていて、その中の特集などで目にするのはやはり夫による犯罪の多さです。私はまだ介護の経験がないので、知らない人間にはわからないと言われてしまえばそれまでなのですが、逆にまだ知らないからこそ、これから関わっていくだろうからこそ気になっています。

 私がここで述べたいのは行政の不備ではありません。それはわかりきっているものであり、不満は非常に大きなものです。しかしここでは男と女の違いについて考えてみたいのです。

 男として今まで生きてきて、やはり女性を完全に理解できるとは思いません。思いやり、尊び、愛する。すばらしいパートナーとめぐり合えれば、こんなに素敵なことはないと思います。そして結ばれると信じています。ではなぜ、それが殺人につながるのか。介護の重さ。それは今の段階では想像はできるものの、まだ実感はありません。だからこそ、女性に我慢できるものが、男性にはできないのかが気になります。

 認知症により、無理を言い、識別困難になり、介護するものは仕事も辞め、つきっきりになる。そして日々の疲労の蓄積が限界を超える。簡単な流れはそうでしょう。その中で想像を絶する苦労、苦痛を伴うのでしょう。介護全体における老老介護の割合が、2000年には33%だったものが、2004年には49%になっています。今後この数字が下がるとは思えず、今実際に介護に携わっている方々は当然ですが、やはりこれから迎える私たちのような人間こそが、考えるべきなのだと思います。

 答を出すことはできません。私には乗り越えることができるのだろうか。本当の意味での強い男になりたい。そう思うことしか、今の私にはできない。

 児童福祉。京都の事件ですね。現場民生委員をはじめとする現場の意見が、まったく上に届かない現状。児童相談所の問題は教育に携わる人間は絶対に頭に入れておかなければならないものだと思います。

 上で述べた介護の問題もそうですが、やはり行政の対応のまずさは目を覆いたくなるものです。

 頭の中で、書きたいことがまだまとまりません。貧弱な自分の思考に嫌気が指します。

 また改めて書こうと思います。

 子供を大切に、親を大切に、愛する人を大切に。

 PS 最高の料理 最高の日本酒と焼酎 『結』 一周年おめでとうございます

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2006年07月25日

学校で教えないこと

 一昔前からよく使われる言葉。

 「こんなこと学校で教えてくれないでしょ。」

 少しサイド的な知識や、社会で習うようなことを子供に伝えるものが、得意げに口にする言葉です。それに対し私はおそらく一般の方々よりも強い反論をします。

 学校とは何のために存在するのか。これは私の個人的見解であり、決して強要するものではありませんが、私の前で先述の発言をする方にははっきりと伝えます。

 学校。やはり小学校、中学校と、高校は分けて考えるべきでしょう。

 小学校の一年生。誰が考えても幼いですよね。その子供たち相手に何を教えるのか。そこは家庭での教えと共通する部分が多くなります。確かに学習に関しての基礎、足し算引き算や、言葉の基本的な形も大切なものとなるでしょうが、やはり生活的な面、集団の中での行動や、食事のときのしつけなどがメインとなります。

 小学生高学年から中学生。ここでは過程とは違う面が大きくなります。集団での自分の役割を判断し、学習もより難易度が高くなります。部活など、集団の中のグループで自分の位置を確認する。

 高校は社会に出るための準備です。当然大学進学の準備ともなりますが、私が考えるに、大学と言うのは本当にその学問を究めたいと思うもの、もしくは大学卒業というレッテルを貼られないと社会に出れないものが行くところ。

 学校で教えないこと。すべてとはいいませんが、大半が、それは学校が教えることではないこと。学校はそれを教えるために存在するわけではないと言うことです。

 何でも『教える』『伝える』という作業が行われるのが学校と思っている人がまれに存在します。

 わけのわからないクレームをつけてくるPTAなどはその典型です。

 学校、家庭、地域。その3者が協力して子供を育てる。その意識をより高く持つことがより充実した教育につながると思います。

 子供は昔と変わっていません。周りの環境、家庭の環境、家庭の意識が変わったのです。そして、教育現場も変わりました。意識の低い教員が増えたのも事実です。

 私は地域と言う存在で子供と接する機会があります。学校とは違う。だからこそ伝えられること、教えられることもあります。しかし、何でも教えればいいものでもないと思っています。家庭が教えるべきことは家庭が担うべきだと考えています。

 知人のブログにエイズについて載っていました。知識は伝えられます。正しく伝えられます。悩みます。

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2006年04月02日

新たな道

 本日4月1日より、私は新たな道を歩き始めました。

 道と言うのはただ一本存在するのではなく、ある“個”から何本も出ているものだと思います。その一つ一つを一人の個が同時に進んでいく。そのスピードは当然それぞれ違っていきます。それぞれに進むペースがあり、そしてそれが一定ではない。
 
 幼少のころ、学生のころ、様々な道がありました。年を取り、現実を知り、消えていったかつての道。それと共に新たにできた道。私の前には今数本の道があります。

 昼間の仕事の中で、今回新たな道ができました。ひとつの仕事の中で、本道の脇を通るわき道的なものでしょうか。しかしその細い道をしっかり歩まないと、本道をも歩けないと思っています。

 先にあるのは何なんでしょう。もちろん目標を持って進んでいます。しかし結果は常に想定どおりにはなりません。途中で、さまざまな障害が存在することでしょう。

 私は歩きます。前へ、上へ。

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2006年03月03日

駒大苫小牧高校センバツ辞退

 狙われたんじゃないでしょうか。

 夏の連覇のあとの不祥事でまだ懲りないのか、と思う方も多いとは思いますが、あの件もなんか保護者が怪しかったし、今回も卒業式のあとですよ。もうとうに引退したメンバーが喫煙と飲酒。

 居酒屋のスタッフが売ったのか、ずっとはっていたのか。昨今居酒屋も未成年の飲酒にうるさくなってきているとは聞きますが、私個人の意見としては、完全に狙われたと思っています。

 教育と言う観点からすれば、確かにうるさく言うことは簡単で、それが今現在のことだけを考えればお灸をすえるには十分でしょう。しかし教育と言うのは今ではなく、先のことを考慮して行うべき。

 今回の件で後輩たちがセンバツ出場の機会を逸し、さらに自分たちは関係ないのに先々まで後ろ指差されることにもなりかねません。もう入試は終わっていますから、今年は大丈夫でしょうが、来年の入学希望にも大きく影響があるやも知れません。

 確かに3月の1月さえ我慢すればどうにかなったのに、何もそこまでやらなくても、と同情の声は上がるでしょう。私は同情する貴もかばう気もありません。世間から見られる立場にいるものは気をつけなければならないことは、先のアイドルが喫煙で謹慎になったことでもわかることです。

 しかし、本人たちの卒業を遅らせて反省文を描かせたり、ボランティア活動でもやらせるなり何か他の方法があったように思います。悪いことをしたら悪いことをした本人がけりをつける。自分のけつは自分で吹くべき。後輩たちにそれこそ一生頭が上がらない状態を作った今回の処置は決して最善の教育的指導であったとは言いがたいと思います。

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2006年02月17日

意思伝達の過程における言語の限界 その1

 自らの意思を他者に理解してもらう。それが意思伝達の最も胆略的な解釈である。ではその媒介となるのは何かというと、人間の場合、ほとんどが言語となる。

 古より、日本では‘言霊’という言葉があることでわかるとおり、また‘ことば’という単語の変換には言葉と詞の二つがあるとおり、人の発する音には意味、意思が含まれるのである。

 ではその意思は正確に他者に伝わるのかというと、なかなかそうは行かない場面に多く出くわす。誤解されたり、いまいちニュアンスが違ってしまったり、時には話者のほうが、明らかに言葉の選択を間違えたりと、その状況はそれこそ枚挙に暇がない。

 そこで考えるのは意思伝達の方法として、言語はふさわしいのかということ。ただ用件を伝えるというのなら、もっとも正確に伝えやすいのは時に言語であったり、時にメモ程度の書面であったりするだろう。ここで考えたいのはより深い意識の伝達。例えば人を説得するときや、愛情を伝えたりするときなどである。

 人は時としてその意思伝達に、目を使い、体全体を使う。言語のみにその力を期待するつもりは毛頭ないものの、言語に携わる仕事をしていて、その持っている力の大きさ、逆にその小ささをしっかりと認識しなければならないと重い、今回このタイトルで書き始めてみました。

 実際書き始めるとそのテーマの大きさと自分の持っている言語に対する認識の浅さを目の当たりにし、驚きを隠せません。

 私が今までに持っていた言語に対する認識は

    言葉というものは一度話者の元を離れてしまえば、どんな意識を持っていても
   それを認識、解釈するのは他者であり、その解釈は他者の意識、経験、状況に
   よるものである。よって話者はより慎重な単語選択を要するものであり、しかし
   それは他者となったときのさらなる慎重を求める。つまり、聞き手としての話者に
   対する聞き方も慎重を要するということである。

 というものです。今現在どう考えているかというと、そう大差はありません。しかし、以前と比べ大きく変わったのはどちらの立場に立ったときも、より経験を活かせるようにはなってきたかなということです。

 今回はその1として、私の今まで、そして今現在の言語認識を書きました。正直な話、まだまだその力を完全に理解するに到っていないので、せめて日々の生活の中で、より高い意識を持って言語を使っていき、気づいたことを記していきたいと思っています。

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2006年02月03日

最近の高校受験事情

 中学校には基本的に9教科があります。
英語・国語・社会・数学・理科の主要5教科と音楽・美術・体育・技術/家庭科の実技4教科。

 最近の高校受験は昔とは大きく制度が変わっていて、神奈川県特有のアテストはとうに廃止され、公立高校の半数が、前期選抜と呼ばれる面接+学校の成績+学習以外の活動実績で決められます。学校によって多少の差はあるものの、面接が50%成績30%活動実績20%といった割合で点数を出し、合否を決定するといった形です。今年は1月後半に行われ、2月2日に発表となり、残りの半数は昔ながらの筆記試験(これを後期選抜と呼んでいます。今年は2月22日)で合格者が出揃うといった形です。

 学習以外の活動というのは部活動や委員会、ボランティアなどの活動をさし、そのことが3年生になると委員会の委員長になりたがったりする生徒が出てくる要因となっています。別にそのこと事態に問題はないと思いますが、委員長になれる生徒の数は限られているし、部活の部長も同じです。

 学校の成績は神奈川方式というのは少し変わっていて、2年生の最後の成績(5段階×9教科=45)に受験直前の成績(5教科×9教科×2=90)を足し、135点満点で考えます。これも学校によって多少見方が変わってきます。例えば、9教科の中で最もいい成績2教科のみを選考基準にしたり、英語だけ2倍して考えたりと、さまざまです。各高校の選考基準はネットでも見れますので、母校が今どんな感じで入試をしているかを見てみるのも面白いと思います。

 面接。これが腑に落ちません。実際の面接時間は一人当たりせいぜい5分。その5分での結果を50%という高い割合で合否の考慮に入れるというのはいかがでしょうか。後期選抜では筆記試験がその50%にあたります。ここでも各高校によって選考基準に違いがあります。

 制度的な説明は簡単に言うとそんな感じです。私は中学生と触れ合う機会が多く、受験に悩む子供たちによく言うことがあります。

 「先々いろんな経験をすれば高校受験がどんなに楽なものかは理解できるだろう。しかし、今の状況で高校受験はもっとも大きな壁のひとつ。受かる・落ちるは別にして、その壁を乗り越えようというときに全力を出せないと、社会に出てからも同じことになる。高校受験で人生がすべて決まるわけではないが、15歳から18歳までの貴重な3年間を過ごす場所・環境が決まることは確か。それを親や先生に任せっぱなしにしているのはおかしいし、手を抜くのは理解できない。自分の環境を自分で考え、決めるとても大きなチャンスを放棄するのはもったいないこと。入試でノイローゼになる必要はないが、しっかり考えて決めることが、先の人生で大切になってくる。そして、自分の希望が決まったら、そのために何をしなければならないかが決まってくる。どうなりたいかをより具体的に描くこと。そのためにできること、すべきこと、すべきでないことを把握して、あとは自分に負けずに動くこと。自分の望む環境を手に入れるのに怠けるようでは、絶対によくない。」

 そんな言葉をかけ、最後に励ましています。

 あと20日で後期選抜。頑張れ!!!

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2005年12月15日

京都の事件

本当に‘まさか’と耳を疑った事件です。
塾が講師を雇うとき、学校の先生とは違い、過去のことを調べることはできません。教育委員会なら、大学に問い合わせることも可能でしょう。しかし、多少大手の塾であっても、そこまで調べることは難しく、今後わが塾も大学生のアルバイトを、と考えていた矢先の事件で大いに悩まされます。

今回の事件で、よくわからない点がありませんか。最初の段階で、犯人と一緒に教室へ行った講師はなぜ犯人に言われるまま他の生徒たちと教室を移動してしまったのでしょうか。事件前の三者面談で、担任(この塾は学校のような体制をとっていたんでしょうか。他の大手の塾などにも担任という存在はあるのでしょうか(--?))と犯人と被害者の3人というのが理解できません。ただの学習指導上の面談ではなかったようなので、保護者が入るべきだったのでは。

確かに忙しい保護者もいるでしょう。あ、そうそう。先日わが塾でも前期終了に伴う定期の三者面談をおこないました。うちは私一人でやっている個人塾なので、生徒・保護者・私の3人だったのですが、いますねぇ、困った保護者が(^ ^;)。3年の受験に向けての最後の三者面談に来ない人。缶チュウハイを飲みながら来る人。何も意見のない人。タバコを吸いながら面談する人。一緒にいる子供がかわいそうになりますよ。

で、事件に戻りますが、やはり今回に関しては犯人が異常すぎる面があり、ワイドショーなどで『最近は塾でも危ない』等の意見を言われるのは、全国の塾が心外に思っていることでしょう。しかし、塾長として細心の注意を払ってアルバイトなどを雇うべきだという警鐘にはなりました。

もうすぐクリスマス。そして年が明ければ中学生になろうという、本当にこれからという人生をあんな形で終わらされてしまった少女に、そしてその保護者の方に心からお悔やみ申し上げます。

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